涌谷城の花見

 19日の11時、涌谷の桜を観るため家を出発。大変な渋滞の中12時過ぎに到着。ポニーの輓馬競争を観ながら涌谷城の桜を観てきました。

やや満開が過ぎた状態でしたが多くの皆さんが桜を満喫して問いました。まだ、入館したことのない涌谷城祉の中を見学してきました。

 天正19年、亘理城から亘理重宗が入城し、以降涌谷伊達氏の居城となりました。もとは南北朝時代奥州探題として下向してきた大崎氏の配下、涌谷氏の居城でしたが、大崎氏が豊臣秀吉の小田原参陣を拒否したため滅ぼされ、一時は豊臣家の家臣、木村氏の居城となりましたが、大崎・葛西氏による一揆が発生し、その鎮圧後は伊達領となり、亘理氏が治めることになりました 涌谷城が近世城郭として整ったのは二代城主重守の時代で、三代定宗の時代になって完成しました。この頃、亘理氏は伊達姓を名乗るのを許され、明治維新まで亘理伊達氏が続きました。涌谷城も明治維新まで存続していましたが、新政府によって涌谷県庁が建てられ、石垣と隅櫓を残し取壊された。
 現在、涌谷城跡は城山公園と呼ばれ、桜の木々が植えられ桜の名所として知られています。また隅櫓(太鼓堂)の隣には天守閣を模した涌谷町立史料館(実際の涌谷城は平山城)が建てられており、涌谷伊達氏の寛文資料や長根貝塚・追戸横穴古墳群からの出土品などが展示されています。

 公園上り口にある樹齢約120年のシダレザクラが咲き始め、続いて江合川左岸堤防にある樹齢約80年のソメイヨシノも開花します。