25日の一週間の出来事

<25日>
永澤さんが22日逝去。今日、葬儀告別式91才、ちょっとばかり早い逝去でした。
中国大陸での戦い、石巻千石舟の会を通してお世話になった。特に千石舟の会では、北上川流域の歴史、伊達家江戸時代から反映、千石舟の海運の歴史など楽しく教わることができた。最近は遠のいたが、1年ほど前までは月にいっぺんは食事をしながら市勢のことや自衛隊のこと、地域のことなどを語り合ったものである。
さびしくなる。

夜は、東松島市自衛隊父兄会の新年会を多良福で行った。35名が参加し、意見交換などをしました。
市長も最後まで参加し懇親を深めました。
 

<26日>
午後、宮城県市議会議長会春季総会が仙台メトロポリタンで行われ県内13市の正副議長が集まり、30議案を原案の通り可決し、その後懇親会を行い親睦を深めました。

<27日>
午後、庁舎内202会議室で東北電力主催の女川原発の現状について説明がありました。
議員から安全性や、避難計画などについて質問が出されました。
私からは、事故発生時の連絡体制の現状と整備について質問し、不測事態時の自治体への迅速な連絡通知の重要性について要望しました。


<28日>
0900〜、基地司令が防衛局企画部長とともに来庁、F−2の再配備、松島基地への帰還についてお話が有り、約50名の隊員も帰ってくるとのことであった。
1000〜、宮城県震災復旧・復興特別委員会委員長渥美県議の皆さんが新体制とのことで15名の議員の皆さんが現地視察した。
 あおい地区集合住宅で議長と共々落ち合い、現状の説明と屋上からの復興状況を説明した。

 その後コミセンにおいて、意見交換会があり各会派の代表による意見を交換した。
 復興クラブを代表して私が「移転後の心のケアの重要性と支援について」「定川堤防の整備について」「大曲浜海浜公園の整備の加速化について」「災害公営住宅の促進支援と加速について」を要望した。

夕方、西田くんから電話があり、永澤さん「瑞宝双光章」受賞と連絡を受けた。うれしい。