一歩前進−15 ロスト

空中操作」の中間検定時、当時日本海空域でアクロバット・ストール等のチェックを雲上で行っていた。雲のトップ(雲上高度)は、約15000フィート、その上は中国からの「黄砂」があり視程が悪かった
 通常海岸線や地形を見ながら課目を組み立てるが雲上であったため、「ADF」のみで空域を判断していた。 
 定められた課目を終え、帰投準備にかかった。雲の切れ間がなく、自分の位置が全く解らず1〜2分うろうろ、やっと切れ間を探し雲下にでた。
 「ADF(自動方向指示器)」(昭和40年当時は、民間を含めまだこのADFが主流であり、逐次TACAN/VOR等が装備されていく)では、方向は解かるが距離の判定は難しく自機の位置確認には時間がかかり且つ不正確であることから常に地上の目標物を確認しながら課目を実施しなければならない。
F-86Fに搭乗し2機編隊長になるころには、このADFを利用し、距離も理解でき各種の電波誤差(松島では、海岸誤差)などその土地に応じた特性を理解し操縦の判断能力の重要な要素の一つになっていく。
 雲上での訓練の恐ろしさを噛みしめながらの飛行であった。従って、このADFの操作や特性を十分理解した者が、計器飛行のエキスパートになっていった。
 見えたのが小月基地(海上自衛隊の航空基地)、風に流され且つ雲上であったことから位置が確認できずとんでもないところにとんでもない処へ来てしまった。帰りの燃料も少なくなり、いちもくさんで帰ったものである。おまけに、最後の着陸では、高返しとなり、失速・落着「ハード・ランデング」、再検定となった。
 中国からの「黄砂」は、夏場特に多く地上から高高度に到るまで空中視程を悪くする。
 気分まで悪くすると共に視程の悪化は、飛行中の姿勢の保持にも大きく影響する。
 現在は、昭和46年の「雫石事故」以来、空域管理がより充実され地上のレーダーが訓練機を全てモニターし、空域の往復、訓練中の空域保持に関する助言・指示等が実施され空域を出そうになったら、無線により直ちに助言・指示がだされるようになっている。 
 また、雲上における飛行の要領も少しずつ変わっていく。
 芦屋でのこんな訓練の中、忘れ得ぬ大事故が発生した。