2013-04-02 一歩前進−61(41 恥ずかしさはどこに) 「ものに恥じる心は、先ず耳に現れるものである。」と「字統」はいう。 「恥」いう字は、耳と心と書く。恥ずかしさで耳まで真っ赤になり、いっそう恥ずかしくなり「火のでるような」経験を誰しも持っていることと思う。 ところが、ところ変われば品変わるで古代ギリシャのアリストテレスは、「恥じらいは、目に宿る」といっている。なぜならば、「同じことでも他人の目のあるところで行われたり、白昼堂々と行われたりすると人々はよけい恥じらい覚える」という。 人の目があるから恥ずかしさを感ずるとアリストテレスはいうのである。