一歩前進-17   ウイングマーク

 芦屋での訓練が終了し、T−33Aによる浜松での教育が始まった。
 同期生は、ここまで18名の脱落者(パイロット免)を出した。
「明日は我が身」と言う厳しい毎日であった。
 今までと同様空中操作・編隊飛行・計器飛行等が行われるがここでも重要な課目は、単独飛行である。ここでも、2名の学生免が出た。 ここまで来ると3次元の世界の運動に慣れある程度の運動は、出来るようになっている。 しかし、ここでの教育は、約7ヶ月120時間ミスプロのため7回の不可をもらってしまった。
 この課程を終了すると晴れて航空自衛隊パイロットの証しであるウイングマークを取得することになる。
 ここでの思い出の一つとして、同期生のヒットバリアがある。
 編隊飛行の2番機として編隊離陸を行った際、長機との離陸時の機首上げ操作が遅れ同時に離陸できず地上拘束装置(バリア)に拘束(ヒットバリア)したものである。
卒業も間近であり全員で見守っていた時の事故でありショックであった。幸い、怪我もなく航空機にも損傷なく一件落着、とおもいきやこの学生一週間後には、免になってしまった。その後、この学生は、中日本航空に就職し、回転翼と固定翼の操縦免許を取得し運行部長を経験し平成に入って「南極探検の要員」として活躍するようになる。
 その名は、池上 宏という。彼は、23年の震災の際、わざわざ三重県津市から見舞いに来てくれた。
自衛隊だけがパイロットとしての道でない、「空への夢とロマン」をおい続け新しい目標を達成した彼に拍手を送りたい。
  (同期が遠くから見舞いに来た。23.6.5 左から 小生、天野、池上、岩田)
  

 約3年6ヶ月過ぎた昭和41年9月、90数名の入校者は、同期生19名(輸送機4名・戦闘機要員15名)となり、晴れて「ウイングマーク」を授章し、防空の任のための基本的な戦闘訓練に進むことになる。