一歩前進-16-2(110)  第2操縦課程

 この課程のことは前記したが、ここでの体験は、私の自衛隊での飛行機乗りとしての原点というべき重要な期間となった。
T−34メンターを7/7で卒業し、おまけにエリミネート寸前での卒業だった経験は、このコースをいかに上位で卒業しかつ戦闘機への道へ進むかの岐路であった。
しかし、よく遊びよく学んだ。
FLTや学科は、ほぼ完璧であったと思う。勿論勉強しても理解できなかったりうまくいかなかったりしたがこのころ21歳、青春の意気を感じた8か月を送った。
ここでの思い出の一つとして、上村多恵子さんとの出会いであった。
彼女は、油谷小学校の同級生で野球やチャンバラ・ゴム飛びなどをしてよく遊んだものである。このころ父はまだ現職警察官で夕張署で勤務していたが、私が芦屋にいることを彼の兄さんが父から聞き、当時結婚したばかりのご主人と面会にきてくれたのである。町で会ってもわからないけれど「横島多恵子」の名前を聞き驚き懐かしく思った。今なら思い出さなかったかもしれないが本当に懐かしかった。

この後、月に一度は彼女のところへ行ったものである。
実は、彼女たち夫婦は当時八幡で散髪屋を営んでおり、話ついでに散髪してもらったりしたし、時々は二人でデイトなどもした。いいご主人である。
現在音信不通だが元気でいるだろうか?
 この文章を書いていたのは、今から5年前の平成18年ごろである。八幡国電話してみたが不明であった。
飛行訓練は、楽しかった。
教官の質問には100%答えられたし、TO−1や教範にかかれていることは、完璧に答えられるほど勉強した。
後は、空中における判断力、集中力、迅速性、協調性などを学んだ。
操縦では、ACRO、CPのうちバレルロール、スピン、キュウバン8などが好きだった。ここで、開花したのがSFO(Sum Force Landeng:模擬不時着訓練)の判断基準と飛行要領だった。鍛えてくれたのが、深瀬/山田2尉(航学の先輩)の二人であり本当に怖い教官だった。このおかげでその後のこの種の訓練や緊急事態発生時にも落ち着いて対処できた。
 その後何度となく起きた緊急事態でも全て正確な判断が出来た。
 起きた事情の判断と初動、次に起こるべき対処と新たな事象への対処、安全に着陸するための判断基準と最終判断として脱出を判断し実行するための手順や次に起こるであろう事象への覚悟などで在る。
しかし、計器飛行の航空法の飛行手順についてはどうしても理解できず何度となく泣いたものである。完全に理解できたのは、基本課程修了する頃であった。