一歩前進−36 (55) トイレのはなし

 平成16年4月15日、不注意により右アキレス腱を断裂し、5月7日手術した。何年かぶりに長期入院生活を送った。今まで長くて1ヶ月程度であったが、第一回目のアキレス腱断裂手術後不注意により再手術となり、かつ感染症にかかったため全部で2ヶ月入院する羽目になった。議会や委員会等議員活動に支障を来したが完治後は基をを取り戻さなければならない。入院中は、足が不自由なため車イスでの生活となり所謂、障害者用のトイレを多用した。広いスペースの中で昔を思い出した。
私が航空自衛隊に入隊したのが昭和37年3月13日、最寄り入隊基地が千歳基地だった。ここでは制服が支給されるまでの3日程度生活した。
高校時代の部活以来の集団生活であった。
いろんな経験をした者同士が50名程度集まった。同期は、3回にわけ入隊したので北海道だけで150名以上はいたと思う。熊谷基地百里基地防府北基地あわせ約2000名の入隊と聞く。私の中隊だけでも400名いた。
さて本題である。
千歳基地で一番びっくりしたのがトイレである。
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当時は米軍施設をそのまま使用していたので、小便器の位置は、高く私の背丈では届かず背伸びをしてもだめであり、煉瓦を重ね足場を高くした場所を使用した。
さらに、大便所であるが10畳程度の広さのところにおおむね10固程度の便器がおいてあり、壁なかった。こんな形だった。対人式、使用するときは新聞等で前を隠して行い異様な状況だった。一応すでに水洗であった。
また、熊谷基地においても小便所は同様であったが、大便所は一応区切りがあった