新しい出発

 4月に入りいよいよ新たな天地を目指す人々がいる。
 新しく保育所や幼稚園に入る幼児達、3月卒園をした新入児童入学式、新中学一年生、大人への出発となる高校一年生。
そ して社会への一員として人生の大切な基礎を学ぶ大学1年生。
 国の創造へと向かい、社会の第一歩となる就職一年生。
 「青春は、熱であり、意気であり、顧みるときの微笑みであれ」この言葉は、私が航空学生として基本課程1年が過ぎ、パイロットの第一歩となる適性飛行のはじめに、ある教官が言った言葉である。
 名前は忘れたが、確か戦時中米軍と戦った陸軍か海軍のパイロットだと思う。
時折後輩にはこの言葉を贈ったものである。

 死と表裏一体のパイロット生活。死にたくない、死んでたまるか。
 エースになるため日々努力。エースになること、それが生き延びる糧となる。
 先輩に追いつき追い越し。全人格を持って後輩の指導に当たったものである。
 芦屋基地での基本課程の時、厳しい先輩(一期先輩の18期生) に扱かれ、夜はよく泣いたものである。
 体力的にそして教練など基本訓練には自信を持っていたのでその分楽しく訓練を受けることができた。
 おかげで18期生が卒業するときには在校生96名(卒業時は86名に減少)代表として送辞を述べることができた。
 やっと先輩が卒業し、楽ができると思ったら今度は区隊長に扱かれた。今思うと区隊長は30歳半ばのバリバリ、訓練内容を含め我々高校卒の20歳前若者よりも気力体力は抜群で何をやっも勝てなかった。
 1年が過ぎ、3月に後輩の20期が入校した。
 我々の卒業が6月だったので3ヶ月間後輩の指導をするのが伝統であった。

 専任指導学生が各区隊(3個区隊)に2名ずつ配置されそのほかに1週間交代で先輩期が指導に当たる。後で知ったが、この専任指導学生全て適性が有り飛行に進むことになった。 私は1区隊からの専任指導学生となり6月卒業するまで後輩期と寝食をともにすることになった。
 朝の点呼、駆け足、始業はじめの移動、課業終了後の5時以降の訓練・生活指導、呼集時の活動指導全てに影響を与えた。
 訓練のきつさは体力的・精神的に高校生時代には体験しなかったものであった。
 後輩の中には、陸上競技の国体級のもの、剣道や柔道の有段者もいたが我々が行う訓練には、当初ほとんどついてくるものはいなかった。
 教練や体力増強訓練は、専任指導学生が計画し実行した。
 隊歌などの指導も行った。いわゆる、軍歌や自衛隊かである。随分と覚えた。

 訓練の合間によく言ったのが、3本の(木)気とそれを育てる肥料のことである。
 我々が国防の最前線に立つパイロットとして必要なのは3本の木とそれを育てる肥料が必要で有り強固な意志と精神力を培うことが大切であると。
 それが「元気・やる気・負けん気であり、何糞という肥料である」新鮮な言葉であり、今も伝統的に使用していると思う。
 一般にはあまり浸透していないが時より使ったことがある。
 この言葉、先輩期からの申し送りでもあったが我々19期から組織的に使うようになった。また、この時作ったのが航空学生隊歌である。芦屋から防府基地に移ってからは歌詞をを一部変更して今も歌われている。
 新年度を迎えるたびに思い出すが、航空学生に合格し、戦闘機パイロットとして日々研鑽し、一応の目的を達成し、T−2の開発、射撃法や射撃理論の教範策定がかなったことは、良い思い出でもある。

 後に続く若者に大いに期待したい。