一歩前-33 (69 専任指導学生)

 当時と今では教育体系(航空学生#30から地上準備教育は、2年になった)も変わりいちがいには一致しないが若き青春時代を回想したい。
芦屋での基本課程は1年3ヶ月であった。3月に入校したので、先輩期と生活を共にするためこの期間の先輩後輩のつながりは、いろんな面で強いつながりが生まれた。
先輩期の卒業は、6月である。
先輩期が卒業するとほっとして手足を伸ばしたものである。そして、次の年の3月、いよいよ後輩期が入校する。楽しい3ヶ月の始まりである。
我々が指導学生として後輩期を教育指導して体制は、#18が行った状況とは異なった。我々#19は、#18から指導受けたときは、各区隊3ヶ月間3名の専従の先輩が指導してくれた。(我が1区隊は、山本耕治(殉職)、石井多賀夫、内田道夫、)
#20への場合は、2名の専任指導学生と2名の当番学生からなっていた。
2名は週番ごとかわり、専任指導学生は、卒業するまで専従するという形をとった。
私は、4区隊の専任指導学生(もう一名は、森 健二)として面倒をみた。3ヶ月で自衛隊生活の基本や航空学生としての気概、伝統を伝承するため全力を尽くした。このため、後輩からは嫌われたようである。
指導学生に任命されたとき、ある教官から「適正合格」の情報を得ていたので後輩にはここでのあらゆる面で課程教育の有り様について自信を持って指導など行うことができた。もっとも、歴史的に指導学生になった者は、90%は、適正があった。
指導学生の任務は、課外における教練、体力増強、営内生活指導などであった。17:00、課業終了。通常17:30には、食事・入浴をすませ定められた場所に、定められた服装で集合する。以後、強制自習が始まる19:00まで指導を行う。
自習時間は、21:00に終了するがこれ以降、消灯の22:30までの間も、清掃・整理整頓要領などの指導も厳しく行い、不十分な場合は、厳しい罰則や指導を連帯で身をもって行う。
最初の頃は、教練、基礎体力の向上、精神教育、隊歌演習などおこなう。
「教練」は、個人・部隊行動の基準となることから、徹底しておこなう。約30人があうには、3ヶ月いっぱいを要する。
「基礎体力の向上」は、上半身裸で毎日3〜5キロ編上靴で走ったり、腕立て伏せ、兎飛び、たまには罰則を含め基礎体力を増強させる。編上靴での駆け足は、高校時代陸上をやり自信を持っている者でも涙を流す。
片腕での腕立て、兎跳びなどは、100回は優にできるまでになる。
室内清掃が終わりベットにつく頃(通常一部屋6人)、すすり泣く者・腹がへってこっそりパンを食べるもの様々である。しかし、ここで終わらない。
時として、「24:00訓練非常呼集、服装作業服」通常5分以内で集合する。
眠い目をこすりながら床に入る。「03:00訓練非常呼集、服装乙武装」二度目である。「05:00訓練非常呼集、服装体操服」5分以内に集合完了。その後、起床時間の06:00になるまで間、5〜10キロの駆足がつづく。
このようなことを3ヶ月続けた後、後輩はたくましく成長するが、この時点で体力的に先輩には追いつくのはほとんどいない。
そんな彼らに、伝えたのは、目標を達成するためには、三本のきが必要である。それは、・・・やる気、元気、負けん気、の三本の気と、それを育てる”なにくそ”という肥料が必要である。」と