ロシアによるウクライナ侵略
先日、同期の藤川君がフェイスブックに、約2ヶ月続くロシア・プーチン大統領による「ウクライナに対する侵略戦争」について意見を記した。良くまとめているので興味のある方は、一読ください。
見るも無惨、哀れなほどに日々崩壊していくウクライナの都市をどれほど多くの国が国民が見ているのだろう、おそらく10億人は降らないだろう。そして国際社会は消滅しつつある民族を傍観するだけで直接救助ができない現実社会に鬱々とした気持ちになっていなのだ。弱いから消えつつあるのではない、国際情勢に素直に従い理に叶った政治を通してきたからで我が国も全く同じ線上にあるのだがこれに気がつかない。平和ボケの責任は誰にあるのだろう?政治家か、マスコミか、国民か、それとも日本人の資質なのだろうか?
今、我が国民の過半数近くが国防費を考えるようになったという。これはドイツも同じ、北欧2国は西側と軍事同盟を結ぶ段階に入ったという。
あれほど自由と平和、民主主義はこの世で絶対的価値で誰もそれを破ることも超えることもできないと信じ切っていたが、プーチンという怪物の命令一下で無残にも砕かれてしまった。欧米の憎悪の対象になったプーチンとロシア民族を見て全く同次元のいやそれ以上性悪の習近平と中国人は「自分らが最初でなくてよかった」と胸を撫で下ろしていることだろう。そしてプーチンよりもさらにしたたかで用意周到な侵攻を台湾に仕掛けてくるだろう。この方が世界大戦の引き金になるような気がする。
ウクライナを直接救うことができない理由は、西側と軍事同盟を持っていなかった事。これは当時プーチンが送ったロシアの傀儡大統領と閣僚による政権が国民の反対を押し切ってNATO加入を拒否したからだ。
似ているのがベラルーシでありグルジア(ジョージア)だ。これらの国々の不幸は、政治がロシアの意向に沿っていることで国民と遊離している事。そして理由のもう一つは軍事介入すれば生物科学兵器や核で攻撃され世界大戦に突入する恐れを感じるから。
我が国も含めた西側自由圏の律儀さと不幸は、自国の保身に執着する余りプーチン戦争の本質から目を逸らしている事。レゼンスキー大統領が再三「次は貴方達ですよ」と我々に警告しているのがわからないようだ。
「生物科学兵器や核攻撃」に怯えている限り悪魔は油断なく正しき者達を殺戮するだろう。影に怯える者はその影を本物と錯覚するからだ。悪魔を退治するには断固として武力で対抗し圧倒し眩い光で撃退するしかない。この徹底して潰すまで戦う、という意志があってこそ悪魔が恐れるようになる。
そこで我が国の憲法改正について考える。
その第九条に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
我々はこの76年間その字義の解釈に悩まされてきた。これを持って安堵する者は国防を軽んじ国会や巷(マスコミ)は徹底的に字義に固執し、異を唱える者を「右翼的」と徹底的に排除してきた。
しかしその字義の支えとなっていたロシアも中国も国連も全く異次元にいたことをこのウクライナ侵攻を見て明確に理解しないとウクライナ人の血と汗が無駄になるように感じる。
「正義と秩序を基調とする国際平和」などどこにも存在しないし、それを司どるべき国連が自由主義圏とは全く真逆な効果しかないことがわかったではないか。「正義と秩序を基調とする国際平和」とはつまり自国のご都合主義的な発想だったのだ。ロシアにすり寄るインドや南ア、ブラジルを見てもわかるだろう。
「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する。」ウクライナはそれを信じ固守してきた。ドイツもまた大戦で懲りてその線を踏襲してきたが、つまるところ他国に武力行使されたら元も子もなくなり国家は荒廃するしかない、という事を軍事侵攻が露わにした。岸田首相が本物の政治家ならばこのタイミングを活かしてこの国のあるべき姿をくつにするべきだと思うがどうだろう?
■
第5飛行隊および第7飛行隊の記念碑再建が完了しました
令和3年5月末日、全国の皆さんに再建寄付金のお願いをメールなどで行いしましたが、11月末日工事が終了し、去る12月14日、基地司令はじめ現職の皆さんおよび鷲を寄付してたいただいた田島氏そして基地OB会長など、現地で応援していただいた皆さんのみで記念撮影、会食などを行い完成を祝いました。
寄付金の状況、工事の進捗など含め、完成報告いたします。
1 寄付金の状況
再建に伴う寄付金の期限を当初7月15日といたしましたが、その後も問い合わせがあったため30日まで延長しました。
その結果、55の団体・個人から622,000円の寄付が集まりました。
個人では、各飛行隊所属操縦者・整備員、元空幕長、各群司令経験者、4空団所属整備員の皆さん。
団体では、翔友会、地元天馬の会・松島基地OB会・隊友会東松島支部、そして民間からはFBFの即応桜。
そして何よりも嬉しかったのは、記念碑のエンブレムである「鷲」の寄贈です。
個人的につながりがある「(社)全国哥麿会」(全日本アートトラック連盟)の田島会長と会員のから2個の鷲を寄付していただきました。この鷲当初の制作から50年以上もたち探すのに苦労しましたが会長のトラックに着いていたものを寄付していただきました。
2 工事の発注/完成
団司令と相談し、50万円の寄付のめどと、鷲の到着(7月12日)を待って発注しました。工事は、松島基地の後援団体である「松島基地翼クラブ」会員の三浦石店にお願いし、8月4日開始しその日のうちに第一次の工事が終わりました。
その後、石柱、本体整備と進みました。
同時に、寄付金の合計が60万円を超えたため、この記念碑を長く保存し両飛行隊の歴史を末永く刻印し、多くの皆さんに知ってもらうため説明板の必要性を感じ計画しました。
9月上旬に契約しましたが説明板が完成し設置できたのが11月18日でした。
基地の担当は、飛行主任の槇野2佐であり、完成式の日程調整し、12月14日実施
と定めました。
当日は、基地司令、副司令、飛行群司令、21飛行隊長、柳澤OB会長、山口隊友会支部長、天馬会会長そして、鷲を寄贈してくれた哥麿会田島会長らが出席しセレモニーを行い、記念撮影・ブルーインパルス飛行・F-2見学そして会食を行い全日程を終了しました。
3 寄付金の状況と今後
今回の再建事業は、津田団司令の暖かいご協力と全国のOBの皆さん、自衛隊を応援してくださる皆さんの暖かいご支援のおかげです。
当初の予定は、50万円と見込み計画を進めましたが、7月15日の時点で622,000円となりました。
鷲を除き、鷲の設置、本体等の整備が242,000円、説明板の設置費が300,000円、合計542,000円(税込み)とのことだったので計画を進めました。
寄付金の使途状況は、以下の通りですが残余分は、記念碑周辺の玉砂利購入等環境整備費として飛行群に43,811円、天馬会に今後の周辺および本体整備費として寄付金残額すべての17,647円をお渡ししました。
収入 : 622,000円
記念碑整備費 242,000円 説明板 300,000円 周辺整備費 43,811円記念碑内砂利購入整備費 諸経費 18,542円PCインク、コピー用紙、写真、基地会食代等 記念碑整備代 17,647円記念碑本体整備(天馬会) 合計 622,000円
4 終わりに
3.11の被害により第5・7飛行隊の創隊記念碑が損失してから10年が過ぎた今年、やっと復旧再建事業を終了することができました。
多くの皆さんのご寄付のおかげで私のマザースコードロン栄光の第5飛行隊、そして青春時代を過ごした第7飛行隊が今蘇えりました。
今後、日常的な「飛行群の森」周辺の環境整備は飛行群に、予算を要する小整備は、第5飛行隊のOB会である「天馬会」にお願いしました。
再建計画・寄付のお願いの開始から約6ヶ月を要しての完成ですがご協力を戴いた皆様に深く感謝申し上げます。
皆様お一人お一人にお礼を申し上げたい所ですがお名前だけの掌握でしたので、文書などでお願いしましたつばさ会、翔友会、哥麿会、即応桜自衛隊応援グループ、隊友会東松島支部、松島基地OB会そしてFBFの皆さんには、この書面をもってお礼に代えさせていただきます。
皆さんありがとうございました。
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第5飛行隊および第7飛行隊の記念碑再建が完了しました
令和3年5月末日、全国の皆さんに再建寄付金のお願いをメールなどで行いしましたが、11月末日工事が終了し、去る12月14日、基地司令はじめ現職の皆さんおよび鷲を寄付してたいただいた田島氏そして基地OB会長など、現地で応援していただいた皆さんのみで記念撮影、会食などを行い完成を祝いました。
寄付金の状況、工事の進捗など含め、完成報告いたします。
1 寄付金の状況
再建に伴う寄付金の期限を当初7月15日といたしましたが、その後も問い合わせがあったため30日まで延長しました。
その結果、55の団体・個人から622,000円の寄付が集まりました。
個人では、各飛行隊所属操縦者・整備員、元空幕長、各群司令経験者、4空団所属整備員の皆さん。
団体では、翔友会、地元天馬の会・松島基地OB会・隊友会東松島支部、そして民間からはFBFの即応桜。
そして何よりも嬉しかったのは、記念碑のエンブレムである「鷲」の寄贈です。
個人的につながりがある「(社)全国哥麿会」(全日本アートトラック連盟)の田島会長と会員のから2個の鷲を寄付していただきました。この鷲当初の制作から50年以上もたち探すのに苦労しましたが会長のトラックに着いていたものを寄付していただきました。
2 工事の発注/完成
団司令と相談し、50万円の寄付のめどと、鷲の到着(7月12日)を待って発注しました。工事は、松島基地の後援団体である「松島基地翼クラブ」会員の三浦石店にお願いし、8月4日開始しその日のうちに第一次の工事が終わりました。
その後、石柱、本体整備と進みました。
同時に、寄付金の合計が60万円を超えたため、この記念碑を長く保存し両飛行隊の歴史を末永く刻印し、多くの皆さんに知ってもらうため説明板の必要性を感じ計画しました。
9月上旬に契約しましたが説明板が完成し設置できたのが11月18日でした。
基地の担当は、飛行主任の槇野2佐であり、完成式の日程調整し、12月14日実施と定めました。
当日は、基地司令、副司令、飛行群司令、21飛行隊長、柳澤OB会長、山口隊友会支部長、天馬会会長そして、鷲を寄贈してくれた哥麿会田島会長らが出席しセレモニーを行い、記念撮影・ブルーインパルス飛行・F-2見学そして会食を行い全日程を終了しました。
3 寄付金の状況と今後
今回の再建事業は、津田団司令の暖かいご協力と全国のOBの皆さん、自衛隊を応援してくださる皆さんの暖かいご支援のおかげです。
当初の予定は、50万円と見込み計画を進めましたが、7月15日の時点で622,000円となりました。
鷲を除き、鷲の設置、本体等の整備が242,000円、説明板の設置費が300,000円、合計542,000円(税込み)とのことだったので計画を進めました。
寄付金の使途状況は、以下の通りですが残余分は、記念碑周辺の玉砂利購入等環境整備費として飛行群に43,811円、天馬会に今後の周辺および本体整備費として寄付金残額すべての17,647円をお渡ししました。
収入 : 622,000円
記念碑整備費 242,000円 説明板 300,000円 周辺整備費 43,811円記念碑内砂利購入整備費 諸経費 18,542円PCインク、コピー用紙、写真、基地会食代等 記念碑整備代 17,647円記念碑本体整備(天馬会) 合計 622,000円
4 終わりに
3.11の被害により第5・7飛行隊の創隊記念碑が損失してから10年が過ぎた今年、やっと復旧再建事業を終了することができました。
多くの皆さんのご寄付のおかげで私のマザースコードロン栄光の第5飛行隊、そして青春時代を過ごした第7飛行隊が今蘇えりました。
今後、日常的な「飛行群の森」周辺の環境整備は飛行群に、予算を要する小整備は、第5飛行隊のOB会である「天馬会」にお願いしました。
再建計画・寄付のお願いの開始から約6ヶ月を要しての完成ですがご協力を戴いた皆様に深く感謝申し上げます。
皆様お一人お一人にお礼を申し上げたい所ですがお名前だけの掌握でしたので、文書などでお願いしましたつばさ会、翔友会、哥麿会、即応桜自衛隊応援グループ、隊友会東松島支部、松島基地OB会そしてFBFの皆さんには、この書面をもってお礼に代えさせていただきます。
皆さんありがとうございました。
東日本大震災から10年
東日本大震災、それぞれの思いの中で10年を迎えました。
世界的大事故とともに、東北地方に未曾有の惨害をもたらした。
今、テレビ等のマスコミで、この未曾有の惨害の情景が繰り返し放映されている。
西村眞悟氏の言葉が仲間の間に掲載されたので一部を紹介する。
この大災害の危機のなかで、天皇陛下は、明らかに我が国の高貴なる権威であり統治者であられた!
天皇陛下の、国民へのお言葉、そして、被災地への行幸啓によって、被災地の国民は、奮い立ち助け合い頑張ることができた。
国民が一つの家族であることを実感させる統治者を戴く国が、世界のどこにあろうか。天皇陛下の3月16日の「お言葉」は、「何にもまして、この大災害を生き抜き、被災者としての自らを励ましつつ、これからの日々を生き抜こうとしている
人々の雄々しさに、深く胸を打たれています。」
「自衛隊、警察、消防、海保の皆さんの、余震が続く危険な状態の中で、日夜救援活動を進めている努力に感謝し、その労を深くねぎらいたく思います。」
その上で、天皇陛下は、各国の元首から陛下に送られてきたお見舞いの電報を
国民に宛てられた励ましとして紹介された。
この大災害において、全生存者救出数の7割に当たる約2万人を救出するという
圧倒的な働きをした陸海空10万7千を動員して救出部隊を編成し、動員期間2百91日、延べ1066万人という空前の活動を展開し、前記の通りの人命救助の成果を挙げ被災地復興に貢献した。
その活動中に、被災地激励とお見舞の為に自衛隊機で松島基地に降り立たれた
天皇陛下に対し、救出部隊の長である君塚栄治陸将は、正対して敬礼した。
東京の自衛隊の中枢では、折木良一統合幕僚長に「部隊を集めます」と宣言し、
直ちに「全自衛隊、すぐに飛び出せ」と号令を発した。
また、被災地のど真ん中の多賀城では、多賀城駐屯の陸自第22連隊の國友昭連隊長が、射撃訓練場からの帰隊途中に強い揺れを感じた直後、車両の中から上級司令部である第六師団に電話して師団長に一言、
「出します」と告げ、22連隊総員900名は直ちに救出活動に突入した。
そして、4775人を救出した。
自衛隊が救出した1/4は、22連隊が行ったことになる。
初動が如何に大切か。身を以てこの「戦訓」を示した。
次は、隊員を家族のもとに帰らせずに救出活動に没頭させた國友昭連隊長が常に所持していた隊員の手記である。
・・・ ・・・ ・・・
私の妻も息子を救助に向かう途中で津波に襲われ、車両もろとも流されました。
その状況を私が知ったのは更にその後、30分後でした。
まだその時、細部任務を付与されていた訳ではなく、携帯で連絡をとれた時の妻「助けて・・・」という
寒さと恐怖が入り交じった震え上がった心のそこからの悲痛の叫びを聞いた瞬間、私の中で迷いというか、このまま部隊を出て、1分1秒でも早く妻の處へ飛んでいきたいと思いました。
そしてその心の苦痛から答えを探していた時、再度妻から連絡があり「大丈夫だから、他の人を助けてあげて」。
その言葉に我に返りました。
そこからはもう迷いはありませんでした。
最後に、今まで陰ながら支えてくれていた妻と息子に、お礼を言いたいと思います。本当にありがとう。
・・・ ・・・ ・・・
16年前の村山富市総理大臣の命令を待って時機を失した阪神淡路大震災の時と同じ結果になり、
多くの助かる人々を死なすことになっただろう。
阪神淡路大震災における自衛隊の救出者は、165人で全救出者数の三%に過ぎない。
海上自衛隊は、地震発生から6分後に、史上初めての「全可動艦艇出航」という命令を発した。
則ち、動ける艦艇は総て被災地に近い三陸沖に向かえという命令だ。
ドックに入っていた船も予定を切り上げて出航した。
これを観たアメリカ海軍の幹部は、「これほど迅速に全艦艇を出せる海自の能力は世界一だ」と自衛隊幹部に言った。
シビリアン・コントロールとは、軍隊を動員して他国と戦争をするか否かの決定は、国民に対して最高の政治的責任を負う内閣総理大臣(日本)の専権事項であるということだ。
つまり、軍に国家の運命を委ねるか否かの決定は総理と大統領がするということ。
同時に、一旦軍に戦闘を委ねたならば、軍のオペレーションの領域に文民はみだりに介入してはならない。
従って、シビリアン・コントロールという概念は、災害派遣や人命救助や、例えば尖閣領空・領海侵犯の航空機や艦船を撃墜し撃破するか否かに適用されるものではない。
福島第一原発の爆発
自衛隊の偵察ヘリによる放射能測定では、放射能は、爆発した原子炉建屋から上空に「割り箸を立てたように」伸びているという。
人間が近づけない危機的状況であった。
しかし、
折木統幕長と火箱陸幕長は決断した。
そして、3月16日23時30分、中央即応集団の宮島司令官が、隷下の金丸章彦第一ヘリコプター団団長に「あしたは撒け」と命令した。
CH47チヌーク2機が霞目駐屯地から飛び立ち、わずか三日前に爆発した原子炉建屋に向かった。
2機は午前9時四40分から10時の間に、4回、原子炉に約30トンの水を落とし実際に放水している映像を見た中共軍の将官は言った。
「日本人は、戦前と戦後、ちっとも変わっていない。
簡単に命を懸けてくる。
もし日本に核弾頭ミサイルの照準を当てて発射準備をしれば、日本人は、確実に、飛行機に爆弾を積んでミサイルに突っ込んでくるだろう。」
次に、世界が感嘆した被災地の日本国民の姿をアメリカの救援ヘリの女性機長が書いた手記を紹介する。
・・・ ・・・ ・・・
ある学校の屋上に「SOS」の文字を発見した。
そして、おそるおそるヘリを屋上に着陸させた。
何故なら、米国を含む世界の諸国では、救援物資を運ぶヘリに被災者が集まって収拾がつかなくなるからだ。
しかし、着陸してみると、年配の男性が一人静かにヘリに近づいてきて、被災者が数百人いるという。
救援物資を渡そうとすると、皆、静かにバケツリレーで受け取った。
他の國にある物資の奪い取りなど全くなかった。
そして、もうここでよいという。
まだあるといって渡そうとすると、キッパリと断って、他の場所にいる被災者に渡してあげてと言って、どうしても受け取らない。
さらにけが人を運ぶというと、足を骨折した老人が申し訳なさそうに乗せられた。
この日本人の優秀さと精神性の高さは、
アメリカ軍の公式記録に載せられる。
・・・ ・・・ ・・・
丁度その時、「文藝春秋」誌に
被災地の犬とネコを救助する民間組織の原発周辺地域での活動報告記事が出ていた。
それを読むと、菅内閣は、犬とネコを救うために原発周辺に人が入ることを認めたが、人を救助するため、遺体を収容するために、人が入ることを認めていない。
そして、その記事には、海岸周辺に人の遺体が点々と横たわっているのを見たが、
私たちは、犬とネコを回収することはできても遺体収容は許されていないので、
ごめんなさいと言って通り過ぎたとある。
それを読んで、私は、怒った。
確か、菅直人は、総理になった時、自分が長州人であることを強調し、自分の政権は、幕末に長州に出来た奇兵隊のようにしたいと言っていた。
その奇兵隊は、戊辰戦争で会津地方に侵攻して、白虎隊など、戦死した会津藩士の遺体の埋葬を禁じ、翌年まで数ヶ月間、遺体を路上に放置して見せしめにした。
菅直人政権は、百五十年後に、これと同じことを、している。
私は、遺体となって原発周辺に放置されている人々の知人や身内かもしれない猪苗代に避難した双葉町の人々に、講演で言った。
菅直人は間違っている。
西村氏は言う。
10年後の今、東日本大震災を振り返り、しみじみと、明治天皇の御製、を思う。
「しきしまの大和心のををしさはことあるときそあらわれにける」
令和3年の計
1 新春を迎え
皆さん、新年明けましておめでとうございます。
清々しい新年を迎えたことと思います。
今年は、丑年。昨年を振り返りながら、今年1年の思いを胸に家族の健康、安心安全、生活の安慧を祈りながら健やかに迎えたことと思います。
昨年は、年明けの元朝参りに日の出、大曲の獅子舞、そして書き初めと意気
揚々と臨みました。
しかし、風穏やかすぎ、よどみを漢字一部の人にはお伝えしたが波乱を思わせるスタートと思いました。
案の定、暮れから始まった武漢発新型コロナウイルス感染症が拡大し、日本をはじめ世界中を驚愕せしめました。
世界では、R2末で約67万人、日本でも2.3万人を超えている。
ウイルスの治療薬、ワクチンの開発が急がれるが未だ先が見えない。
個人では、3密回避、うがい・マスク・手洗いが感染症防止対策のみが我々が行える最大の防御対策である。多様性という言葉の裏に自分勝手という行動があるがため、なかなか修復の見えない今日である。
新たな、感染防止対策が望まれる。
(1)一年を振り返り
各種行動に制約を受けながらも、多くの活動・成果を得ました。
1月 会派及び民生教育常任委員会先進地視察
2月 東松島市初めての建国記念を祝う式典開催
3月 孫寧、航空自衛隊入隊(親子3代自衛官)
オリンピック聖火到着、健康未来都市宣言
4月 ウェルネス宮城高校開校
ブルー東京上空慰問飛行
5月
6月 松島航空隊記念碑献花祭
7月 喜寿、宇都参議院議員とWEB会議
宮城武の会総会
8月 慰霊碑清掃
9月 津田団司令着任
菅政権誕生、敬老祝い金受領
10月 東小運動会、書道展等審査
11月 東松島市消防庁舎落成、松島基地殉職者追悼式
市政功労受賞
12月 デンマーク王国友好記念児童・生徒書道展(最終回)
(2)議員活動
令和2年当初の計として、目標として引き続き、①福祉のモデル事業への提言②少子化対策を含めた学校等施設誘致活動への調査研究③SDGs(持続可能な開発目標)未来都市への提言のため活動して来ました。
成果は次のとおりです。
①民生教育委員会としての活動
「子育支援事業」「新教育長を迎えての教育方針。学力向上策について」の調査。
1月所沢市、滑川市、黒部市を視察しました。
②福祉事業関連と地域交流
社協の現状、あおい地区を中心とする介護・みまわり体制充実への意見聴取や現場確認の継続。各種ボランティア団体との交流などを積極的に行い、令和
2年の事業等各種提案をしました。
③各種復興事業への提言
パークゴルフ場整備に伴う休憩所の不具合対策への助言と駅前道路の新設・関連出入門整備に関する防衛省・基地との調整に努めました。
④会派活動
今年度は「清風・公明」6人会派として、市長への誤りのない政策提言のできる会派として、1月に今治市、西条市、JICA関西を視察しました。
⑤その他
引き続き全国「武の会」副代表として、仲間議員との連携と情報交
換を続けました。
(3)周辺状況の動き
さて、こんな中、国内外の状況たゆまなく動き、激動の渦中にある。
米国の大統領選挙は、結果として波乱を呼び、中東をはじめ欧州地方・極東にも悪影響を及ぼしている。
バイデン大統領の中国政策に注目する必要がある。
欧州では、コロナウイルス感染症が日増しに拡大し収束の目途が立っていない。経済への悪影響が継続している。中東では依然としてテロが継続し、インド・中国の国境紛争、中後による南沙諸島への侵攻 、上海での民主活動制限と共産党によ
る一党支配が日に日に強化し継続強化している。
また、韓国の文政権の迷走は、日本の外交対策にも悪影響を及ぼしている。
ほっておいても良いが、一連の危うさは、早期に彼の行動に歯止めをつけるが必要である。竹島問題、大和碓、慰安婦問題、徴用工問題しかり。
北方四島の帰属問題は、ますます困難を極め、譲歩による解決を回避しての力図良いメッセージを継続する必要がある。
拉致は、金正恩現体制下では望み薄か?。
2 コロナ対策は
昨年来猛威を振るう新型コロナウイルス。
国・県・市と各種対策を継続しているが、この国、法治国家でありながらあまりにも多様性(身勝手さ)を大切にするあまり、個々の活動に歯止めをかけずじ
まい。多分多くの若者の犠牲を見ないと、いわゆる国の権力の必要性には気がつかないであろうし、国も責任を追及されことが恐ろしいため規制などがおろそかになるであろう。
完全に経済を止めないと拡大防止は長期になる琴を覚悟する必要がある。
また、多くの国民が、拡大しないことを望めば各個人には感染しないし、安心という安易な国民が数多くいるということ、行政を預かる者も少なからず、ない方がいいと思うことが感染防止に役立つと考えている。
行政は、感染防止施策を徹底して行うことが重要である。
3 防衛問題
(1)イージスアショア白紙
昨年は地上イージスアショアの白紙、イージス艦への転換。
有事と平時の区別のつかない国民のあまりにも多いこの時代、多分領土を攻撃され奪われ、破壊され、国民の死を間近に見ないと気がつかないであろう。悲しい。
(2)領土問題
日本政府として、他国との間に領土問題が存在するとしているのは、竹島と北方領土であり、尖閣諸島については、領土問題は存在しないとの立場である。
他方、韓国は竹島について領土問題の存在を認めず、外交交渉や司法的解決に応じないとしているが、ロシアは、北方領土について領土問題の存在を認めており、領土交渉にも応ずる姿勢を示している。また、日本の施政下にある尖閣諸島については、日米安保条約第5条が適用されるが、施政下にない竹島及び北方領土には適用されない。
こうした違いなどを踏まえ、尖閣諸島、竹島、北方領土のそれぞれの問題では、領土保全、外交交渉、司法的解決の提起、国際社会への領土問題のアピール等、日本として採るべき手段の優先順位が異なってくる可能性があることに留意する必要がある。
ア 尖閣周辺問題
近年、中国、台湾の公船や漁船による尖閣諸島周辺領海内への侵入事案が続いており、日本の同諸島への「有効な支配」を維持するためには、領海警備体制の強化が喫緊の課題である。
そのため、海上保安庁の態勢強化が唱えられており、大型巡視船の拡充を図ると
ともに、既存の大型巡視船を周辺海域に重点的に配備する必要性がある。
さらに法制面では、領海に侵入し、無害でない通航を行った場合に、それを包括的に取り締まることのできる「領海侵犯罪」を創設すべきとの主張も見られる。これに対して政府は、無害でない通航については国連海洋法条約で様々な態様が示されているため、現在は個別法で規制しており、領海侵犯罪のような形で対処されている。
今、最後の砦である海上自衛隊との連携が重要であると同時に、海上保安庁の強化と増強、職員の精鋭化が望まれる。
イ 竹島と北方四島
1950 年代以降、韓国に占拠された状態の竹島については、日本政府は、韓国による「不法占拠」が続いているとして、韓国に対して外交交渉や国際司法裁判所等の司法的解決に応ずるべきと主張している。しかし、韓国政府は、竹島について「韓国固有の領土であり、領土問題はそもそも存在しない」として、外交交渉や司法的解決に応ずる姿勢を示していない。米国は、竹島について領有権をめぐる対立が存在するならば、関係当事者間の平和的な解決を期待するとの中立的な立場を示しており、日本の施政下にないことから日米安保条約第5条も適用されない。
第二次世界大戦終結時にソ連に占領され、現在は、その後継国であるロシアに占拠された状態の北方領土については、日本政府は、ロシアによる「不法占拠」が続いているとした上で、北方四島の帰属の問題を解決し、平和条約を締結するとの基本方針の下、ロシア側と交渉を行うとしている。一方、ロシア側は、北方四島の領有は「第二次世界大戦の結果である」としつつも、現在は領土問題の存在を認めた上で、四島の帰属に関する交渉には応ずるとしている。
継続して解決を向けての外交が要求される。
4 内 政
7年8カ月続いた安倍政権が終わり、菅義偉首相が後を継いだ。
初めて開いた会見では、「安倍晋三政権の取り組みを継承して前に進めることが私の使命だ」と改めて表明した。新型コロナウイルス対策を最優先で進めるとし、国民全員にワクチンを確保することなど、安倍前首相が退任前にまとめた政策に取り組む考えを示した。
新型コロナの感染拡大は国内外で止まらず、夏に予定していた東京五輪・パラリンピックも1年延期となった。
一方、菅新首相は官房長官時代に取り組んだ縦割り行政の改革を進め、各省庁から人材を集めてデジタル庁を設置することなど独自の政策に取り組むことも訴えている。 携帯電話料金の値下げや地方経済の活性化などにも注力する考えだ。
新型コロナウイルス対策と東京五輪・パラリンピックの是非がスタートと解散総選挙の動向が気になる。
5 東松島市政と選挙
今年は、合併後5回目の選挙であり、市長・市議会議員の選挙が4月25日行われる。
市長は、再度出馬する。
議員は2~4名の引退か?結果として5~6名名程度の新人が立候補すると思われる。
今回も少数激戦である。
私は迷っている。この件については少しだけ時間をかけたい。
6 今年の抱負
今なお続く新型コロナウイルス拡大。修復の目途は立っていない。
選挙前までは、担当常任委員会として拡大防止対策の重要性・継続性・感染者市民等に対する治療体制整備等の徹底を市長に提案していく。
選挙については、手法について対策に万全を期していく。
そして今年の計は、「游心:(「汝遊心於淡,合氣於漠,順物自然而無容私焉」
心を淡に遊ばしめ、気を漠に合わせ、物の自然に順いて、私を容るること
)
時として、自らの思いを大切に人生への集大成への準備をしていきたい。
令和2年 敬老の日
今日は敬老の日。
賀 寿について書いてみた。
賀寿とは「寿賀」とも呼ばれ、還暦や米寿など、長寿を祝うことをいいます。
その年齢に名前が付けられており、数え年で、下記のように呼ばれています。今日では「満年齢」で祝うことも多くなり、実際のお祝いについては、誕生日や敬老の日などに行われることが多くなっています。
この機会に長寿につて振り返ってみましょう
「還暦(かんれき)」:60歳
還暦とは、60年で干支が一回りして再び生まれた年の干支にかえることから、元の暦に戻るという意味でこのように呼ばれております。
赤いちゃんちゃんこは赤子に戻りもう一度生まれ変わって出直すという意味がある。
「緑寿(ろくじゅ)」:66歳
緑寿(ろくじゅ)は数え年66歳の長寿のお祝いとして、日本百貨店協会が2002年9月に提唱した新しい概念です。
室町時代に定着した長寿祝いは「還暦(数え年60歳)」「古希(数え年70歳)」「喜寿(数え年77歳)」「米寿(数え年88歳)」の4つで、そのうちの喜寿は、語呂合わせから発生した日本独自の長寿祝いでした。
「古希(こき)」:70歳
古希の「古」は、古来の「古」、「希」は「まれ」と読み、めったにはない珍しいことの意。 つまり「古希」とは、「珍しいほどの長生き」ということです。これは、唐の詩人・杜甫の詠んだ「人生七十年古来稀なり」から出ています。
古希祝いの「紫色」は、古くから特別な意味を持つ色と考えられてきました。
「喜寿(きじゅ)」:77歳
喜寿は「喜」の草書体が「㐂」と書き、字を分解すると十七の上に七が付いたような文字となることに由来。室町時代から始まったと言われ本来は厄年の一つであったともいわれます。
「傘寿(さんじゅ)」:80歳
傘寿は「傘」の字の略字が「八十」み見えるため誕生したといわれます。
八十寿(やそじゅ)」とも言う。長寿祝いの色は金茶。
「半寿(はんじゅ)」:81歳
八十一を組み合わせると「半」になるところからつけられました。
将棋盤がの目が八十一あることから「盤寿」ともいわれています。
「米寿(べいじゅ)」:88歳
米寿は末広がりで縁起が良い「八八」と瑞穂の国が由来です。
米寿の「米」の字を分解すると、「十」を軸にして2つの「八」が囲む形になっていることがわかります。
「八」という字は古来、日本では末広がりで縁起が良いとされてきました。同時に、瑞穂(みずみずしく、よく実った稲)の国である日本においては、「米」もまた大切な言葉。その2つがちょうど一致するのが「88歳=米寿」です。
「卒寿(そつじゅ)」:90歳
数え年で90歳のお祝い。 卒寿は「卒」の字の略字「卆」が「九十」に見えることから名付けられました。
「白寿(はくじゅ)」:99歳
百の字から一を引くと「白」になることに由来。
「百寿(ももじゅ)」:100歳。「上寿」ともいう。
100歳であることから百寿。ひゃくじゅ。紀寿(きじゅ)とも。紀は一世紀を表すことから。
長寿を3段階の上・中・下に分けたうちの最も上位。
※下寿(60才)、中寿(80才)、※「百賀の祝い」ともいいます。
100才以上は毎年お祝いします。
「茶寿(ちゃじゅ)」:108歳
「茶」の字を分解すると「十、十、八十八」となり、すべてを合わせて百八として茶寿と呼ばれます。
「皇寿(こうじゅ)」:111歳
「皇」の字を分解すると「白(99歳)、一、十、一」となり、合わせて百十一となることから、こう呼ばれます。
「大還暦(だいかんれき)」:120歳
(大還暦)-2回目の還暦を迎えたことになるため、こう呼ばれています。
「天寿(てんじゅ)」:250歳
(天寿)-寿命という意味もあり、「天寿を全うする」としてこの言葉が使われます。
福・禄・寿(ふく・ろく・じゅ)は人生の目標
七福神としても有名な神様の名前でもあるので、聞いたことがある。という人も多いと思います。この福禄寿は人生の三大目標とも言われていています。
喜寿を迎えました
昨日は、多くの皆さんから祝意を戴きました。ありがとうございました。
喜寿の年、日を静かに充実した日を過ごさせていただきました。
年を重ね今も青春かもしれません。。
適正飛行受講の時教官から「青春は、熱であり、意気であり、顧みるときの微笑みであれ」と言う言葉があり、必死で精進してきました。
父が、喜寿を超え、傘寿を超え、そして今母は、白寿を迎えようとしている。親より早く死ぬのは、親不孝極まりないとの教えを守り通したいものです。
喜寿を一つの区切りとして、健康でいたいものです。
世界中が「コロナ」の渦中にありその対応に人類去年つて対応していますが、こんな中、近隣諸国の我が国国境への執拗な侵入行為や過去を忘れ独自の民族意識を辺り構わず振り回し、馬鹿な存在式を振り回す国が多い中、いっこうに進まない防衛・外交問題意識の希薄さは、政策以前に熟慮できないもの同士の政治論説は嘆かわしい。
占領軍が我が国体を壊滅させるために発布させた憲法を、未だ大切に洗脳され続ける結果が、ひょっとして、尖閣諸島・魚釣島占領やミサイル攻撃の温床まで気がつかない、あくまでも他国の性善説を勝手に思い込んでいる多くの国民への警告とならないことを願っています。
でも、個人としては、正月に計として掲げた、「初心」を今一度顧み、健康第一、コロナに対策を施し、市民の負託の努めを果たしていきたいと思います。
「庚子の年」支のはじめ、年の計を「初心(事窮勢蹙之人、当原其初心、事窮(きわ)まり勢い蹙(ちぢ)まるの人は、まさにその初心を原(たず)ぬべし)」