ロシアによるウクライナ侵略

先日、同期の藤川君がフェイスブックに、約2ヶ月続くロシア・プーチン大統領による「ウクライナに対する侵略戦争」について意見を記した。良くまとめているので興味のある方は、一読ください。
 
 見るも無惨、哀れなほどに日々崩壊していくウクライナの都市をどれほど多くの国が国民が見ているのだろう、おそらく10億人は降らないだろう。そして国際社会は消滅しつつある民族を傍観するだけで直接救助ができない現実社会に鬱々とした気持ちになっていなのだ。弱いから消えつつあるのではない、国際情勢に素直に従い理に叶った政治を通してきたからで我が国も全く同じ線上にあるのだがこれに気がつかない。平和ボケの責任は誰にあるのだろう?政治家か、マスコミか、国民か、それとも日本人の資質なのだろうか?
 今、我が国民の過半数近くが国防費を考えるようになったという。これはドイツも同じ、北欧2国は西側と軍事同盟を結ぶ段階に入ったという。
 あれほど自由と平和、民主主義はこの世で絶対的価値で誰もそれを破ることも超えることもできないと信じ切っていたが、プーチンという怪物の命令一下で無残にも砕かれてしまった。欧米の憎悪の対象になったプーチンとロシア民族を見て全く同次元のいやそれ以上性悪の習近平と中国人は「自分らが最初でなくてよかった」と胸を撫で下ろしていることだろう。そしてプーチンよりもさらにしたたかで用意周到な侵攻を台湾に仕掛けてくるだろう。この方が世界大戦の引き金になるような気がする。
 ウクライナを直接救うことができない理由は、西側と軍事同盟を持っていなかった事。これは当時プーチンが送ったロシアの傀儡大統領と閣僚による政権が国民の反対を押し切ってNATO加入を拒否したからだ。
 似ているのがベラルーシでありグルジアジョージア)だ。これらの国々の不幸は、政治がロシアの意向に沿っていることで国民と遊離している事。そして理由のもう一つは軍事介入すれば生物科学兵器や核で攻撃され世界大戦に突入する恐れを感じるから。
 我が国も含めた西側自由圏の律儀さと不幸は、自国の保身に執着する余りプーチン戦争の本質から目を逸らしている事。レゼンスキー大統領が再三「次は貴方達ですよ」と我々に警告しているのがわからないようだ。
 「生物科学兵器や核攻撃」に怯えている限り悪魔は油断なく正しき者達を殺戮するだろう。影に怯える者はその影を本物と錯覚するからだ。悪魔を退治するには断固として武力で対抗し圧倒し眩い光で撃退するしかない。この徹底して潰すまで戦う、という意志があってこそ悪魔が恐れるようになる。
 そこで我が国の憲法改正について考える。
 その第九条に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
 我々はこの76年間その字義の解釈に悩まされてきた。これを持って安堵する者は国防を軽んじ国会や巷(マスコミ)は徹底的に字義に固執し、異を唱える者を「右翼的」と徹底的に排除してきた。
 しかしその字義の支えとなっていたロシアも中国も国連も全く異次元にいたことをこのウクライナ侵攻を見て明確に理解しないとウクライナ人の血と汗が無駄になるように感じる。
 「正義と秩序を基調とする国際平和」などどこにも存在しないし、それを司どるべき国連が自由主義圏とは全く真逆な効果しかないことがわかったではないか。「正義と秩序を基調とする国際平和」とはつまり自国のご都合主義的な発想だったのだ。ロシアにすり寄るインドや南ア、ブラジルを見てもわかるだろう。
 「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する。」ウクライナはそれを信じ固守してきた。ドイツもまた大戦で懲りてその線を踏襲してきたが、つまるところ他国に武力行使されたら元も子もなくなり国家は荒廃するしかない、という事を軍事侵攻が露わにした。岸田首相が本物の政治家ならばこのタイミングを活かしてこの国のあるべき姿をくつにするべきだと思うがどうだろう?