震災の次の日

3月12日、震災の次の日、朝5時40分ごろ日がうっすらと開け始めたとき、東小学校から家に戻った。<当時の写真>

国道から南はまだところどころ水たまりがあり、小さいガレキが散乱していた。家に近づくにつれガレキも大きくなっていた。家に着くとリッキー(ゴールデンリトリバー犬)がいなかった。家の中を見てみるとヘドロだらけ、そして自作の仙台タンスやソファーなどが散乱し、床上40センチの浸水状況のすごさが目に入った。


犬を探しに、南300メートルほど道路を歩いたが、いたるところでガレキが道をふさいでいた。
その後がれきの状況を記録した。

今朝、当時を思い出しながら、日の出を見ながら散歩した。


1000から矢本1中の卒業式。議長代理で出席した。海亜も揚々と卒業式を迎えた。一つの節目。あとは高校入試の結果を待つだけである。合格を祈る。

来賓紹介では、「感謝を忘れず、さわやかに一歩前進、新たな目標達成に期待する」とコメントした。


そしてコラボがあった。
市長からの記念品贈呈に代理として突然呼ばれ記念品を贈呈した。代表者があずさだった。

打ち合わせと違うので一瞬びっくりしたが、うれしかった。校長先生ありがとう。
終了したのは、12:20、急いで庁舎に向かった。

1240〜、デンマーク国会の機長、副議長、デンマーク大使がライチョウ、その歓迎行事に議長とともに参加した。
挨拶ののち、昼食を取りながら懇談した。


私の隣には、公使のミケル氏が座り日本語ができたので、震災の状況・復興の進捗などをお話しした。
その後、定林寺の慰霊碑(ここには511名の犠牲者の名前が刻されている)、野蒜が丘、野蒜メガソーラー、旧野蒜駅、ステッチガールを視察し帰路についた。