一歩前進ー62(50−矢本史跡巡り)

 この資料は、平成7年ごろ当時の七十七銀行矢本支店長の佐々木氏がとりまとめたものである。今回、20ヶ所について記載する。
 駅から散策すると1日はかかると思う。
参考までに、平成元年小生が22飛行隊長の職にあるとき、学生を対象に、当時からある「大勇堂」の菓子(矢本八景)を参考に今回記載する類似の資料を参考に直に観ることが出来る所で町内をサイクリングし史跡を研修させた「矢本八景めぐり」がある。
 この所要時間は、約3時間である。
興味のある方は、小生まで。資料があります。
※印:22飛行隊矢本八景にも選定

1 土井市郎兵衛の筆塚
  土井市郎兵衛は小松の人(1775〜1835)。
  農業の傍ら、家塾を開き読書・習字を教えた。
  この塚は、その33回忌に生前使用した約一万本の筆を弔うため教え子達によって築かれた。
2 ※月観の松 金売り吉次にかかわる伝説の松。
  大きさ・枝振りとも素晴らしい。近くに、吉次の屋敷跡と伝えられている場所もある。
3 力士荒熊の墓
  荒熊(1754〜1819)は、赤井に生まれ江戸相撲で活躍した。 
  小型力士ながら得意の張り手を持って勇名を馳せたという。
  墓は、吉木美津雄氏邸内にある。
4 大槻俊斉生誕地の碑
  大槻俊斉は、(1804〜1862)赤井に生まれ、刻苦勉励し長崎でオランダ医学を学び、後江戸で開業し活躍した。
  種痘の実施、西洋医学所(初代頭取)の開設等我が国の近代医学の基礎を築いた。
5 赤井遺跡
  古代牡鹿郡の役所跡と推定される遺跡
6 三ツ谷潜穴
  寛文年間、矢本地方の新田開発のためその用水を遠田郡鳴瀬川に求めて開削した用水路の隧道。
  今は、廃江となったが矢本開発の歴史的水路址である。
7 清泰寺
  文安元年(1444)白雲文恕和尚の開山。
  曹洞宗。本寺は七北田洞雲寺。
  境内に漢学者小池裕斎の碑がある。
8※太郎坊清水
  名泉。いかなる干魃にも枯れることがない。
  別名一杯清水。背後に町内最大の中世城館址樋の口舘址がある。
9 力士白岩の生家
  大塩村に生まれた昭和初期の郷土力士(前頭)。
  しこ名は、近くの名所白岩(巨岩、現在はない) 生家の現当主は、奥田恵吾氏。
10 大塩小学校の高野槙
  樹齢推定800年。旧家の先祖が伊勢参りのさい求め上育てた。
  現在大塩小学校の校木にされている。
11※矢本氏重層門
  幕末〜明治初期の建物。矢本氏は近世の豪農で村役人のほか登米伊達氏の仮屋にも充てられた旧家である。
  現当主は、矢本克己氏曾祖父平之助は、県政界の重鎮であった。
12※弘安の図像板碑
弘安2年造立の阿弥陀三尊来迎図碑。その雄大さと精巧さは東北地方きってのものであり、土地の豪族長江氏の造立とみられている。
13※新山神社
桓武天皇の第5皇女を祭神とし、鎌倉権五郎景政(長江氏の祖)の勧請とも伝えられている。
  近世の深谷総鎮守。旧大塩村社 。 │
14※滝不動
長江太郎義景後室の勧請という。境内の三交の欅が素晴らしい。
15※滝八幡神社
八幡太郎義家の勧請。室町期の宝剣が伝わる。
16 澗洞院
新山権現の兄が開祖ともいわれている。
永享元年 (1429)入山の南長寿白和尚を中興開山とする。
  曹洞宗。本寺は七北田洞雲寺。
17 早坂
旧往還「気仙道」の山道。昔のたたずまいあり。
18 願成寺
永禄10年(1567)法山正和和尚の開山。
本寺は、清泰寺
19※横穴古墳群
7〜9世紀始めの古墳群。総数100基以上といわれている。
平成15年の宮城県北部連続地震の際、一帯の墓郡が露出し、発掘調査が行われた。
  その後現状復帰したため外観からは確認できない。
20 奈良坂源一郎の生家
源一郎は矢本に生まれ(1854〜1934)、明治大正期に、日本解剖学界の草分けとして活躍した。 生家の現当主は、奈良坂源成氏。