一歩前進−23 (70) 新任地松島

 昭和42年3月25日付け、FC卒業し初めての任地、松島基地第4空団第5飛行隊に着任した。卒業前の任地希望は、第5飛行隊、第7飛行隊、第6飛行隊であった。
5Sqは、第1希望であり小躍りして喜んだ。しかし、当時、飛行場はどこにあるのかわからなかった。松島町と思い地図を探してもわからず途方に暮れたことを思い出す。切符をもらい、当時担当教官で第5飛行隊出身の有名な滝川さんに聞いた。
 「矢本町」初めて聞く町の名前だった。
 東京から特急に乗り仙台駅についた。地下道を通り仙石線乗り場に向かった。このころは、石巻にはまだ1時間に一本のわりでの連絡だった。不安の中で一人寂しく列車に乗った。途中、今とは違い、町並みもまばら何日か前に降ったと思われる残雪を眺めながら古里夕張の「大夕張線」を思い出した。
 25日夕刻、矢本駅に立った。F86F×4機が飛行場内において対地射爆撃訓練を行っていた。
 駅からタクシーに乗り、部隊に到着。藤川が待っていた。人事部での手続きを終了し、第5飛行隊へ向かった。荷物は、すでに営内BOQ(平成16年現在の幹部宿舎ででその頃両飛行隊のパイロット、人事部長、施設隊長が同居していた。(この施設は、基地内で一番環境がよかった・・・夏は風通しがよく、冬は一番暖房が効いた)に運ばれていた。パイロットの独身候補生が約10名すんでいた。
飛行隊長は、中出2佐、怖い先輩たちが犇めいていた。
 昭和47年6月30日まで栄光の第5飛行隊で勤務することになった。