一歩前進―47(33―「IP07」松島タワー歴史に幕)

 ホテル壮観の敷地内に建つ展望タワー。海岸沿いにある高さ64メートルのタワーからは松島の景観を360度見渡せます。
 手前に広がる松島海岸、福浦島や背後に浮かぶ桂島、寒風沢、野々島、大森島、朴島までの島々のすばらしい景色が一望できます。
日の照り障りで刻々と表情を変えていく海や、島々の様子をゆったりと眺められるスペースです。」
 これが松島町の観光案内に記載されている松島タワーの内容です。
  
 この観光名所も塩害などによる老巧化のため、平成14年7月1日から取り壊される。
1964年の建設以来観光のシンボルになっていたが38年の歴史に幕を閉じることになる。建設時には景観をめぐって国会でも問題になり、当初90㍍の予定であったものが高さの1/3を削った経緯がある。現在は、携帯電話のアンテナもありその高さは67.3㍍と言う。
と・・・ここまでは単なる観光案内である。
私をはじめとする同年代の松島基地で訓練を行った青春時代の若きエース達は又別の意味を持つ「松島タワー」である。
 私が松島基地に配属になったのは、先に述べたが昭和42年3月25日、FC−88を卒業してはじめてのTAC部隊であった。当時の場周経路は、IP25が万石浦を望む「沢田町上空」、ここから28°バンクで旋回(NO WIND)し245°でROLL OUTすると貞山堀上空そして滑走路に正対するのであった。勿論このときの訓練空域は、主として金華山沖から三陸沖に駆けてのまことに広い空域であった。
日本海や月山上空等(大編隊での空中戦闘訓練や要撃戦闘訓練等が多かった)での訓練を終了し基地に帰投する場合は、IP07が「松島タワー」上空であり、ここから31°バンクで旋回し065°にROLL OUTすると鳴瀬の石切場を通して滑走路が見えたものである。
IPからの旋回要領、貞山堀、石切場、宮戸島の地形の状況を熟知するとSEAFOG等でWXが急変しても、BELOW MINになっても安全に着陸できたものである。
まさしく、「腕に覚え有り」であった。
しかし、この「IP07の松島タワー」も昭和46年7月30日の雫石事故を契機に見直され、IP07は、現在の「からかい島上空」に変更になったのである。
 学生の諸君や外来パイロットは、地図と地形が一致せず正に「からかい」島のIP07になったのである。
 偶然にも6月30日の新聞を見、懐かしくもあり、残念でもあり、我が歴史の1ページにと急きょこの項目に加えることにした。