一歩前進-12 第一初級操縦課程

 英語課程を卒業し、いよいよ<レシプロ機(T−34Bメンター)による教育が始まった。
 昭和40年3月、静浜基地第11飛行教育団に入校した。
 当然、飛行の前に準備教育が徹底し実施された。「管制用語」「通信要領」「航空機取扱い」「操縦法(地上操作・空中操作・計器飛行等)」「リンクトレイナー(シミュレーター)」等が約1ヶ月実施された。
 航空機の操縦に関係ある基礎的知識は、ここでの教育で養われる。
 航空機搭乗に必要な知識には、操縦法を理解し、搭乗したときに手足が自動的に動くようになるまで反復演練する。
 「地上操作」では、「外部点検」「内部点検」「エンジン始動法」等地上での全ての操作要領を学び、空中における種々の「操舵要領」に加え、イメージトレーニングを徹底し手順だけは、どの様な状況の変化にも自動的に身体がついてくるように習性化させる。
 「飛行教育」は、空中操作(離着陸・各種旋回等・失速訓練・アクロバット等)を約30回、編隊飛行を約10回、計器飛行を約10回、航法を約3回程度行われる。
 そして、各種検定飛行を3〜5回程度実施される。
 飛行訓練は、毎回評価され、連続3回の「不可」「可」が続くと、特別検定が待っており、不合格となるとパイロット「免」となり道が閉ざされる。
 我々静浜組は、10名でスタートしたが単独飛行までに3名「学生免」となり、自衛隊を去っていった。
 単独飛行には、15時間の飛行で90回の着陸が基準であり、満足できない者は、いわゆる、「首」なのである。
 当時、空自は民間航空会社(全日空日航東亜国内航空等)の委託教育を実施していたが、単独飛行に関する基準は、空自より甘かった。
 離着陸の単独飛行ではもう少しで首になるところであった。
 この時期静浜基地での教育では単独飛行にでれなかった同期が一度で3名が課程免になった。私は7/10でかろうじて首がつながった。

 同編隊単独飛行中長機の教官から撮影してもらう。